コラム:『オワコン』について考えてみる。

どうも、ブログのテーマをリニューアルしてスッキリした筆者です。
ついでにいろいろとこれまで書いてきたものを振り返っていたら、
2014年にnoteというサービスで書いた文章が出てきて読んでみたら、
案外面白かったので、自分の書いた文章だしということでこちらのブログにも転載しようと思います。

まぁ、あくまで2014年の文章なので、ちょっと現在とズレることもあるかもしれませんが、
今後、コラム的な文章も書いていこうということもあり、何卒よろしくお願いします。
それでは以下、転載のコピペです。

 


2014年11月19日 noteにて投稿

『オワコン』について考えてみる。

 

「CDはオワコンだ」「テレビなんてオワコン」「ラジオ?何それ?美味しいの?」「ツイッターはもうオワタ」「Facebook(笑)」「最新のゲーム機なんて久しく買ってないな」「新聞なんてとらないよ」「出版不況」etc.

ふと考えてみると、現存のパッと思い浮かぶメディア、全てのコンテンツが「オワコン」と呼ばれている。

…どういうことだろう?じゃあ人はどんな情報、メディアに興味やドキドキを感じ、期待しているのだろか?
正直よく分からなくなってきた。

たしかに自分に置き換えてみても、中学生のころくらいからテレビは全く観なくなってしまった。新聞もとらなくなったし週刊マンガ雑誌も購読しているものは特にない。ツイッターやFacebookに関しては未だにどう楽しめばいいのかよく分かっていない。

しかし、知識や情報、娯楽に対しての欲求が衰えているわけではない。楽しいコンテンツは基本的に大歓迎だし、いい音楽、素敵な映画や面白いマンガはリアルタイムで体感したいって思っている。

…ってなると、『オワコン』って一体何をどう指しているのだろうか?

この文書を自分の脳内の整理のためにスマホで打ち始め、ふと気づく。

おそらく原因は、今、僕の手の中にある「スマートフォン」だ。

これまで挙げてきた「オワコン」と評されるコンテンツは、今や、スマートフォンを入り口にして、全て手に入る。

CDはこれまでレコードショップに行かないと手に入らなかったのに、スマホを使えばお気に入りの曲だけをピンポイントで購入できる。最新のニュースだって無料のアプリで勝手に届くし、ゲームなんかはアプリゲームでも十分に面白い。

でもそれは、所謂「オワッたコンテンツ」自体が原因ではなく、これまでと「入り口」が違うだけだ。

ソフトではなくハードが違う。
分かり易い例を挙げると、ソニーがウォークマンを発売したとき、それまでの音楽の楽しみ方がガラリと変わったという話は音楽雑誌などによく書いてあった。それまで家のオーディオやライブハウス会場などで楽しんでいた音楽が、いつでも外に持ち運べるようになった。それは音楽の本質が変わったわけではなく、楽しむための方法、つまり『ハード』が新しくなっただけだ。

この「ソフトとハード」はしっかりと両方の役割を理解して扱わないといけないと考えている。何故なら、人にとってソフトよりも遥かにハードの方が影響力が大きいからだ。

掃除機や洗濯機があるのとないのとでは、家事の取り組み方が全く異なるのと同じように、テレビや新聞、ラジオや雑誌では、それぞれ情報を得るときのスタイルがそれぞれ変わってくる。テレビではお茶の間の前でビールを飲みながら、ラジオでは家事や運転をしながら、雑誌や新聞では電車などの移動時間や喫茶店などで出来る隙間時間。同じ情報を受け取るにせよ、そのハードを選んだ人のスタイルに依存する。

そうなってくると、「オワッている」のはコンテンツ自体ではなく、人がどのハードを入り口にして欲しい情報を得ているか?の判断を迷っている「ハード」の方である。というのが僕の考えだ。

情報の「提供者」と「受信者」の想定しているハードがズレていたら、すれ違いが生まれてくるのは当然だ。音楽だったら、今の若者のほとんどが、CDを買ったとしても一度PCに入れて曲を吸い出し、あとはiPodやスマホで聴く。それなのに、レーベルやアーティストはやたらとCDのフィジカルリリースこだわるのも「すれ違い」でしかない。CDに握手権や特典DVDなどをつけて何とかセールスを稼ぎだしているアイドルたちと、同じ土俵で全員が戦う必要性はもうない。CDにこだわっているのは、発信者の単なる自己満だ。それよりもインディーズのバンドだったらCDプレスして全国流通を目指すよりも、ダウンロード販売のみにした方が、プレス費用も抑えられて効率的だ。もっというと「こだわった音楽性で勝負している!」というのであれば、いっそのことレコードのみをプレス枚数を制限して販売したほうがいい。コアな音楽ファンだったらCDよりもレコードの方に音楽的価値を見出している可能性の方が高い。

要するに、自らのもっているコンテンツの強みがあるのに、ハードの選択肢を選ぶことに躊躇していることが最も危険なことではないか。

新聞だったら、実際の紙で印刷されたものと、スマートフォンの小さい画面で読むのとでは、書き方は異なってくるはずだし、それを一緒にすることは受け手にとっては逆に不便だったりもする。ネットのニュースは、専門のサイトに任せてもいいのではないか。自らの提供する情報の質に自信があれば尚更だ。上質な情報はネットニュースにはなく、実際の新聞にあると受け手が思えば、購読者も増える。「スマホやタブレットでも同じ情報を得られますよ♪」は、もう間違っている気がしてきた。少なくとも僕なら「だったら無料のニュースサイトでいいや」と思ってしまう。

そろそろまとめると、「オワコン」とは「コンテンツがオワッている」のではなく、「コンテンツがもつ情報の出口が何だかトンチンカンで、それぞれが実際にもっているコンテンツの魅力が伝わりにくいハードの選択をしているからオワりそう」が正しい「オワコン」への認識ではないだろうか?

どうなると「オワる」のか?
それは、それぞれのコンテンツの魅力があるのに、受け手の適正なハードの判断を誤り、その結果、コンテンツの生み出す母体自体に体力や技術がなくなっていく。ということ。

それを防ぐためには3種類の対処方がある。

イチ。とにかく特化する。それぞれがもつコンテンツの魅力を最も発揮できるハードに特化すること。テレビだったら「いつも決まった時間に帰ってきてお茶の間でみるしか、この番組を充分に楽しむ方法論はないんだ」と受け手に思わせるしかない。

ニ。受け手が欲しているハードに合わせる。今、スマホがマジョリティなのであれば、スマホで楽しみやすい内容にコンテンツ自体を変えていくやり方。ラジオであれば、スマホで聴ける「radiko.jp(ラジコ)」を局の壁を越えて連携し、リアルタイムなメディアという考えは捨て、いつでも聞き返せるシステム作り、出演者との契約の見直し、スポンサードへの対応などを考え直すこと。

そして、サン。新たなハードを生み出すこと。

正直言って、iPhoneが登場したとき、未来が手元に来すぎたのだ。ソニーがウォークマンを出したときとは比にならないほどの未来のハードだった。若者はそれをすぐに取り入れ、ライフスタイルを変えた。手荷物は少なくなり、様々なコンテンツは「いつでもどこでも楽しめるものである」と信じこんでしまった。そして、それまでのハードの場をもっていたコンテンツの提供各社は対応に遅れてしまった。

このスマートフォンを超えてくる新たな「未来のハード」は、しばらくは登場しなそうだ。だからコンテンツの提供者は、とりあえずはスマホについて考える必要がある。そして決断する必要もある。今回書いたことは、全て、僕自身に跳ね返ってくることだ。例えばradioDTM(僕がやっているDIY音楽メディアです)に関してだと、リスナー層とスマホの親和性は非常に高いため、2015年はスマホに寄り添う方針になると思う。

長文駄文、失礼しました。
※あくまで僕の脳内整理のために書いた文章です。悪しからず。

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